【中高不登校女子ものがたり休止します】不登校について・この漫画で描きたかったこと【再開未定】
こんにちは、つるです。
今連載中の「中高不登校ものがたり」ですが、休止することにしました。再開は未定です。
(続きを描く可能性がゼロではないので未定とします)
理由はシンプルに疲れてしまったからです、、、
やっぱり思い出そうとするとモヤがかかるような思い出は、掘り起こしちゃダメですね。
途中から明るくしようと思ったけど、明るくしようがなかったw
Twitterには残しますが、ブログの方はしばらくしたら不登校漫画の記事、消す予定です。もしかしたら続きを描くこともあるかもしれませんが、その際もTwitterのみに載せると思います。
声をかけてくださった方、ひっそり心配してくださった方、早々に終わってしまいすみません。
ここで終わるのはあんまりなので、この記事で私の不登校の全貌、描きたかった、伝えたかったことを色々書いていこうと思います。
すんごく長くなったので、興味のある項目だけでも見てくださる幸いです!
Table of Contents
学校に行かないと決めた日のあと
漫画では「毎日学校に行くのをやめる」と決意したところで終わりました。
この後、母に「疲れたからしばらく学校休みたい」と伝え(学校での詳細は話してません)、1週間休ませてもらうことになりました。
この1週間はメンタルクリニックに行ったり(先生を信用出来ず、もらった薬も効かなかったけど)、母と近所の公園を散歩したり、家でのんびり過ごしたり幸せな時間でした。
、、、1週間が経ち。
ようし!学校行くぞ☆
とはもちろんなりません。
この後、どうやって学校を休もう、、、
1週間休んだのに「休みたい」と言ったら母はがっかりすると思って言えませんでした。
私は、朝学校に行くふりをして近所の公園や図書館に身を潜めていました。
ちなみに、一番よく隠れてたのは自分の家と、隣の家の間の1メートルほどの隙間です。
忍者のようにその隙間に挟まってノートに漫画を描いたり、漫画や小説を読んだりしていました(図書館や公園で他人に会うのすら嫌だった)
雨の日は小さく傘をさして、夏は汗だくになって蚊に食われながらそこにいました。
何してるんだ私は、、、でもこれいつか笑い話になるぞ
私は謎に前向きな気持ちでいました。
「今が一番最悪」だと思っていたので、「この後の人生はきっと楽しい」と根拠のない自信がありました。
実際、私の場合、高校卒業後はめちゃくちゃ生きやすく、今に至るまでずっと楽しく過ごしています。
不登校から卒業まで
学校から家に「つるさん来てません」と電話がくるので、母には早々にバレました。
当然、怒られました。「どうして学校に行きたくないの?」と聞かれても、どう答えたらいいか分からなくて黙っていました。
「A子たちに嫌がらせされてるから」というのも嫌がらせの内容がしょぼくてカッコ悪いと思ったし、「傷つきたくないから」なんて言っても納得してもらえないと思っていました。
中3から高1は週1、2日休み、勉強はほぼしないのでボロボロ。度重なる補習と課題提出でぎりぎり進級させてもらいました。
高2、高3に至ってはもう週2、3日は休んでいました。
私は「学校をやめる」という決断まではできず、退学ぎりぎりのラインで出席していました。
でも高3は本当に卒業できないと言われて、冬休み毎日登校して朝から晩まで課題をして学校の温情で卒業させてもらいました。
友達がいたから卒業できた
本編では流れ的におかしくなるので出せなかったのですが、常に友達はいました。
おい!!って思われたらすみません、、、
クラスに1、2人いつも行動を共にする友達がいて、友達とまではいかないけどよく喋る親しい子たちもいました。
卒業後、「友達もいるし学校では楽しそうにしてるから、なんで不登校なのか分からなかった」と何人かの友達に言われました。
でも、私の中では本当に信頼できる友達ってあんまりいなくて、なんだかいつも一人ぼっちだと思っていました。
ゆいいつ、中高の時の友達で今も仲良くしている子が1人います。
らむちゃんはちょいちょい私の漫画やブログにも出てくるよ!
中1のとき友達になって、中高の6年間毎日一緒に登下校していました(クラス一緒だったのは中1の時だけ)
なので、私が毎日楽しく学校に行っている時から、年々学校に来なくなる過程を全部知っています。でも、らむちゃんは6年間、1度も不登校について私に聞いてきませんでした。
いつも待ち合わせてる電車に私が乗ると、笑顔でおはようと言ってくれました。
私はそれにすごく救われていました。
他にも、毎日その日の出来事をメールで送ってくれた友達、親しくしてくれた子たちのおかげでなんとか卒業までしがみつけたと思います。
A子と卒業式のあと2人きりになった
高校の卒業式のあと教室に私が一人で何かを取りに行くと、A子が一人で教室にいました。
私は一瞬息を呑んで
神様が用意した時間だ、、、
と思いました。
教室に2人きりです。私は、、、ずっと言いたかったことを言わなきゃと思いました。
「嫌がらせしたこと謝って」
言わなきゃ、、、言わなきゃ、、、
A子が言いました。「もう帰るの?」
、、、うん
A子「打ち上げ行く?」
、、、うん
A子「それじゃ、、、」
A子は教室を出て行きました。
言えなかった、、、
神が用意してくれた時間だったのに、、、私はすごく悔しい気持ちでした。その後も、長い間その時言えなかったことを後悔しました。
でも、今になってみると言わなくてよかったと思っています。
もしA子が「なんのこと?」って顔をしたら、もっと悔しい思いをしただろうし、「ごめん」と言ったとしても、それで気持ちが収まったかは分かりません。
高3のときに、その時一番よく遊んでいた友達にポロッとA子に嫌がらせされてたことを言いました。
その子は「A子は海野と仲良くなりたいんだと思う」と言いました。
その言葉に私は少し納得しました。A子は私の悪口を言いながらも、私がお菓子を食べてるともらいにきたり、「将来大物になりそうだね」とか、1週間休んでから学校に行くと「やっと来たね」など言うこともありました。
私は「はあ?」って思ってましたが、、、
多分、中2の林間学校の「あの子仲間外れにしようよ」はA子の中での「友達になろうよ」だったのかもしれません。
そう考えると、そんな形でしか友達の作り方を知らなかったA子少し不憫に思います。
母とはずっと冷戦状態でした
不登校の5年間は母とはずっと冷戦状態でした。
当時はいろいろな要因が絡んで、母も私も最悪の状況だったので、どちらがより辛いということはなく、どちらも辛かったのだと思います。
卒業後しばらくしても、当時のことは長らくわだかまりがありましたが、家を出て、子供が産まれ、、、当時の母の苦しさを想像できるようになり、わだかまりも消えていきました。
迷惑かけたなあ、、、
母はブログに度々出るよ☆親子ともどもよろしくね〜(アニメ声)